先輩カントクたち

「令和の働き方」に沿った職場環境整備は、昭和入社勢の務め。

森下 伸夫(もりした のぶお)

入社年度 1979年
土木部
熊本工業大学 土木工学科(現 崇城大学 環境建設工学科)

社内でも指折りの「釣りキチ」である森下さん。同僚や後輩たちと釣りに出かけることもあるそうです。今いちばんしたいことは「4人の孫と遊ぶこと。もうちょっと孫たちが大きくなったら一緒に釣りに行きたいですね」と、目を細めて笑顔で答えてくれました。

入社のきっかけは?
私たちの若い頃は、日本経済はうなぎ上りだったので、将来のことや就職のことに対して、あまり危機感はなかったですね。この道に進んだことも、「建設会社に勤めたら安定した生活ができる」というくらいに思っていました。
大学は高知県外を選びましたが、地元に帰って働きたいと考えていました。ミタニ建設工業を選んだのは、知人の勧めです。そんなふわっとした入社のきっかけですが、言い換えれば、「きっかけはふわっとしていても、長く勤めることはできるし、会社に愛着も湧いてくる」ということかもしれませんね。
でも、思い起こせば、昭和50年に大洪水に見舞われた高知の復旧に携わりたい、という考えが少し頭をよぎったことも、この道に進んだ理由なのかもしれません。

入社してからの印象は?
とにかく忙しかったですね。当時は土佐道路(高知市河ノ瀬から朝倉荒倉トンネルの間)を造成している時でした。私も入社して初めて担当した現場が、土佐道路、現在フジグランさんのある辺りでした。休みも月に1回あるかないかくらいで、遊びに行く予定も立てられませんでしたね。でも、すべての工程を終えた時、「こんな大きなものを造ったんだ」…なんとも表現しがたい感情がじわっと湧き起こり、次も頑張ろうと奮起できます。
地図を描き替えられる仕事に携わっているのですから、すごいことだと思います。

働く環境を整えたい
今はしっかりお休みもあるので安心してください(笑)。時代が変わりましたね。昔は「がむしゃらに目の前のことをこなしていく」という働き方でしたが、今は「いかにうまく仕組みをつくり、効率的に仕事を遂行させていくか」というスタイルに変わりました。ただ、その理想が完全に叶えられているかといえば、まだまだです。スケジュールや人員配置の調整に苦労します。でも、これから入ってくる若い人たちのために、私たちベテランがしっかりと働く環境を整えなければと思っています。私たちも、昔の働き方には戻りたくはないですからね。いい思い出ではありますけれど。引退するまでに、私たちがすべきことだと思っています。

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