苦労の先の達成感と、人々の笑顔に魅せられ続け、現場八十八か所。

大﨑 真補(おおさき しんすけ)
入社年度 1979年
土木部
高知農業高等学校 土木科
取材に訪れると、プランターの花々がお出迎え。花は、大﨑さんの現場事務所のトレードマークです。事務所内の安全確認のポスターも大﨑さんお手製。「こんなのを作るのが好きやね。最近は動画づくりが楽しいね。」と、地域の子どもたちとの触れ合いの様子を撮影した動画を眺めながら目を細めていました。休日は家族、特にお嬢さんと過ごすことが一番の楽しみだそうです。

入社のきっかけは?
子どもの頃から勉強嫌いだったことや小銭欲しさもあり、よく働いてましたね。新聞配達は小学校3年生頃から9年間続けました。そのため、「働けば欲しいものが何でも手に入る」と思っていたので、早く就職してお金を稼ごうと、中学卒業後は、左官屋である叔父の弟子になると決めていました。でも、担任の先生が「高校へ進学したほうがいい」と、とめてくれたので、高知農業高校土木科へ進学し、卒業と同時に自宅から一番近いミタニ建設工業を志望して入社という、あまり深く悩むこともなく就職した感じです。
心に残る現場は?
どの現場にも思い入れはありますが、一つ挙げるとすると、昭和50年・51年に仁淀川流域を襲った台風後の災害復旧工事ですね。入社後すぐに配属された現場です。この災害で祖父の実家が土石流で跡形もなく流された辛い思い出があり、その復旧を自分が担うということに縁を感じたスタートでした。
22歳になる年に初めて現場代理人を任されたことも印象深いです。初めてでわからないことだらけなのに、工期の終わりがあっという間に近づき、徹夜で準備を整え完成検査を迎えたことが昨日のようです。あれから41年が経ち、現在88件目の現場代理人を務め、総工事費110億円を超える経験豊かな現場監督オヤジとなりました。
22歳になる年に初めて現場代理人を任されたことも印象深いです。初めてでわからないことだらけなのに、工期の終わりがあっという間に近づき、徹夜で準備を整え完成検査を迎えたことが昨日のようです。あれから41年が経ち、現在88件目の現場代理人を務め、総工事費110億円を超える経験豊かな現場監督オヤジとなりました。

仕事のやりがいは?
正直、昔は「辞めたい」と思ったことは何回もあります。でも、現場監督として一部始終携わり完成検査を迎え、「完成と認めます!」という完成検査官のひと言は、何回聞いても何とも言えない達成感を感じます。次の現場もさらに頑張ろう、と力が湧いてきます。一種の「中毒症状のようなもの」です。
私たち現場監督は、「現場で働く全ての人達の作業環境を安全・快適な状態に整える」「地域住民の皆さんに、工事の完成まで安心して任せていただく」ことを最優先して仕事をしています。
建設会社の新入社員が奮闘する姿を描いたドラマ「同期のサクラ」のセリフ「私には夢があります。仲間とたくさんの人を幸せにする建物を作ることです」が、現場監督オヤジの心にもじんわりと染みますね。
私たち現場監督は、「現場で働く全ての人達の作業環境を安全・快適な状態に整える」「地域住民の皆さんに、工事の完成まで安心して任せていただく」ことを最優先して仕事をしています。
建設会社の新入社員が奮闘する姿を描いたドラマ「同期のサクラ」のセリフ「私には夢があります。仲間とたくさんの人を幸せにする建物を作ることです」が、現場監督オヤジの心にもじんわりと染みますね。