苦労の果てに得られる感動があるから続けられる。

川村 和也(かわむら かずや)
入社年度 平成29年
土木部
長岡技術科学大学
建設工学科
新潟県の大学を卒業してから、高知には休暇でたまに帰るくらいだったという川村さん。20年ぶりに腰を据える覚悟で帰郷を決めたことを明るくOKしてくれた奥様とお子さんに感謝でいっぱいだそう。休日は家族と過ごす時間を大切にされています。

入社のきっかけは?
高知工業専門学校に進学した後、新潟県の長岡技術科学大学に編入し、卒業後は地元高知には戻らずそのまま県外で就職しました。
40歳を過ぎて「地元に戻りたい」と考えたのですが、高知のことに詳しくなく、家族も居るので失敗はできないと思い、転職紹介会社に相談しました。
何社か提示された中にミタニ建設工業の名前もありました。
雇用条件や会社の考え方などを拝見させていただき、どの会社もそれぞれ良さがあった中で、三谷剛平社長の「建設業の未来を変える」という言葉に惹かれました。「どう変わるのか、見てみたい」と、就職を決めました。
40歳を過ぎて「地元に戻りたい」と考えたのですが、高知のことに詳しくなく、家族も居るので失敗はできないと思い、転職紹介会社に相談しました。
何社か提示された中にミタニ建設工業の名前もありました。
雇用条件や会社の考え方などを拝見させていただき、どの会社もそれぞれ良さがあった中で、三谷剛平社長の「建設業の未来を変える」という言葉に惹かれました。「どう変わるのか、見てみたい」と、就職を決めました。
入社してからの印象は?
私は中途採用ですので、今まで培ってきた仕事の進め方…「色」がどうしてもついています。その「色」に対して、皆さんが肯定的なのがありがたいですね。「川村さんはそういう進め方をするんだね。それは参考になる。」と、違ったやり方も良ければ受け入れてくれる空気があります。だから、という訳ではありませんが私も、ミタニ建設工業「流」をベースに、気持ちよく仕事ができます。温かい皆さんの気持ちに感謝しています。

仕事のやりがいは?
半日で終わる工事から、何年もかかるプロジェクトの一部を担う仕事など土木建設の仕事の規模は、大小さまざまです。ミタニ建設工業の仕事は、どちらかと言えば後者が多いですね。今回の現場も、高架と高架を鉄筋で繋げた後に舗装をする手前の橋床板をコンクリートで造る仕事で、高速道路のインターチェンジを造るためのほんの一部の仕事です。私自身、若い時は全体像が見えないので「しんどい思いばかりで何をやっているんだろう」と辛くなることもありました。でも、プロジェクト全体が完成すると、「こんなスケールの大きい仕事に関わっていたんだ!」と感動が後からついてきます。その域に達するのには時間がかかりました。
だから1年も経たないで辞めてしまう人が居ると、「ああ、残念だなあ。」と思ってしまいますね。その感動を経験すると、私のように、建設業界から離れられなくなるのかもしれませんね。
だから1年も経たないで辞めてしまう人が居ると、「ああ、残念だなあ。」と思ってしまいますね。その感動を経験すると、私のように、建設業界から離れられなくなるのかもしれませんね。